梅元建治

Talkin’ About Nagasaki ―ゲスト:梅元 建治さん[長崎市の文化財・景観資産が抱える問題]

市民活動、まちづくり、行政への各種提言など、まちづくりの分野で活躍する梅元建治さん。長崎の文化財・景観資産と市民の関係性はどうあるべきなのか。ご自身の活動から感じていること、視点を共有していただきます。

【目次】

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03.居留地まつり〜行政主体から市民主体へ

行政主体の持続できない地域イベント

久保:梅元さんが、実行委員会事務局長をやっている長崎居留地まつりについて聞きたいんですが、かなり大きなお祭りになりましたよね。何年くらいやっているんですか?

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梅元:もう22年くらい経つかな。僕が長崎に戻ってきて18年になるけど、最初の頃、僕は全く関わっていなかった。居留地まつりが始まった当初は、自治会の人たちで実行委員会を形成していて、長崎市から観光行政の補助金が600万円くらい出ていたと記憶している。長崎に戻ってきて2年目くらいの時に、今の実行委員長でもある桐野耕一さんから「居留地まつりのアイディアを出す企画部会を作るから、企画部会に来てくれ。」と声をかけられて、それがきっかけで関わるようになったね。

当時、居留地まつりには実行委員会と企画部会がそれぞれ別であって、実行委員会の事務局は市役所が担当していた。議会の議事進行や名簿作成、議事録なども全て市役所の人間が作成していて、それに関わる人件費も膨大で…。そういったお祭りが当時の長崎には数多く存在していた。今でも残っている紫陽花まつりや帆船まつりも実行委員会形式だけど、やっているのは市役所の人間で、市民が会議を動かしていなかったんだよ。地域をあげて何かやろうとしているのに、行政がアウトラインを作ってそこに市民が登場していくだけ、これってまちづくりじゃない、持続できないなと思っていた。その何年後かに、居留地まつりは予算を大幅に削られることになったんだよ。

行政主体から市民主体の運営へ

久保:どのくらいの予算が削られたんですか?

梅元:600万円あった居留地まつりの予算が急に50万円まで削られる事になったんだよ。自治会や実行委員会の人たちは「(居留地まつりを)辞めろということか!」と怒って…。行政からの回答は、やめるならやめても良いですよという感じで、このままでは開催できないという話になった。その時桐野さんに、やれる範囲内で僕らだけでやりましょうという話をした。

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久保:では、一旦は規模が小さくなるわけですね?

梅元:「自分たちで考えてやるから、自分たちだけでやらせてもらえませんか。」と言ってやる事になったけど、大半の人が離れて行ったね。連合自治会の人たちも、自分たちはやれないと。その時に、今まで何にお金が使われていたか見るようになった。2日間のお祭りを行政が企画・運営していたから、テント張りやステージ設営、ごみ収集など全て業者に発注していた。椅子を並べるなど自分たちができる事は自分たちでやって努力はしていたようだけど…。集客のためにタレントを呼んだり、ポスターを毎年違う業者に発注したりね。以前から僕は、毎年ポスターのデザインが違うのはおかしいから自分たちで作ろうって話もしていたんだ。

久保:そういえば僕の地元にも似たようなお祭りがありました。有名な女優さんがゲストで来ていて、不思議に思ったことを思い出しました(苦笑)。一旦予算を50万円まで減らされた居留地まつりはその後どうなっていったんですか?

梅元:華々しい事は全然できなかったね。今までステージイベントに出てくれていた人たちには謝礼を払っていたから、無料でイベントに出てくれる人を探したり…。でも、実際今まで600万円あった予算で一番費用がかかっていたのが、実行委員会の人たちが形成していたお弁当代という名の謝礼だったんだよね。そのお弁当代を出せないとなると、手伝わないという人がたくさんいた。そんなものだったのかと…。僕らには元々お弁当代はなくて、何なら自分たちがお金を使っている。「居留地まつりって、結構お金使うよね。」と桐野さんともよく話をしている。出店いただいているお店で、何か食べ物を買ったりね。(笑)

人と人との関係性づくりで、地域の一大イベントに発展

久保:きっとしばらくは大変でしたよね。

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梅元:大変だったけど、きついという感覚はなかったね。ひたすらに、何が出来るんだろう?と…ただそれだけ。洋館が使われていなかったから、洋館を活用しようとか。最初の1〜2年目は自分たちで何でも企画をしていたけれど、自分たちで企画したら自分たちでやらないといけいない、やるとなると圧倒的に人手が足りない。そこで考え方を変えて、企画を持ち込んでやってくれる仕組みにして、そういう人たちとの関係性を作ろうと思った。

久保:なるほど。孔子廟で行われている新社会人ネットワークが運営している、赤ちゃんハイハイレースもその仕組みからですよね。

梅元:そう。新社会人ネットワークは、最初の頃、手伝いに来てくれていたんだけど、「何かやりたい事、企画ない?」と声をかけてみると「孔子廟は何で使われていないんですか?赤ちゃんハイハイレースをやってみたいんです。」と企画書を作って来てくれたんだよね。企画も運営も実行委員会で行ってたものを、企画書と予算書を提出してもらってそれを実行委員会で承認して行くという形にした。その時に居留地まつりのテーマも”文化を次の世代に”というものにして、テーマに絡んだイベントの企画を募集するようして。その頃から、今まで借りていたテントや発電機などの備品も購入するようにして、倉庫や事務局を持つようにしたんだよね。自分たちで事務局を持つと、他の地域の行事でも手伝うことが出来るでしょう。備品を貸したり、設営や片付けの手伝いをするという事は、僕たちが応援するという事。他の地域との関係性もできてくる。そういった関係性をデザインすることがコミュニティデザイン。あれ、これって僕が昔していた仕事だなって。

久保:それはいくつ位の時にですか?

梅元:コミュニティデザインは、僕が設計事務所の時にやっていた仕事で、もっと言うと福岡の九州芸術工科大学の時に研究していた環境設計。環境設計と言うと、風力発電や自然エネルギーのイメージが強いけど、人や社会の関係性をいかに作るか、作ったところでハードをどう動かしていくのかというのが環境設計なんだよね。

久保:梅元さんは、学生の時に研究していたことを、まさに今実行しているという感覚で日々活動してるんですね。

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ライター

久保 圭樹

フォトグラファー

久保 圭樹

Nagasaki365の発案・企画・設計、Webデザイン、写真撮影などを担当。普段は企業のWebサイトの企画・設計、デザイン、Webマーケティングのコンサルティングなどを仕事にしています。

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