梅元建治

Talkin’ About Nagasaki ―ゲスト:梅元 建治さん[長崎市の文化財・景観資産が抱える問題]

市民活動、まちづくり、行政への各種提言など、まちづくりの分野で活躍する梅元建治さん。長崎の文化財・景観資産と市民の関係性はどうあるべきなのか。ご自身の活動から感じていること、視点を共有していただきます。

【目次】

梅元 建治さんプロフィールはこちら »

05.新しい長崎をデザインしたい

久保:長崎に戻って来てから数年は家業のことに集中していたんですよね。それから段々また今の環境設計やまちづくりに少しずつ活動の重心が傾いてくるきっかけを教えていただけますか?

梅元:地元は、子供の頃からお互いをよく知っていた桐野さんが、手伝ってくれとか大浦青年会に入ってくれとかそういった流れで。前の設計事務所の時に商工会の仕事もやっていたから、すぐに商工会の青年部にも入った。大浦に住んではいるけど茂木で仕事をしているんだから、まずは茂木の人たちに信用してもらわないとダメだと言って弟と一緒にね。そこからだんだんと茂木の人たちからも気に入ってもらえるようになって、会議に来てくれとかどんな事をすればいいんだとか相談されるようになって…。出島トンネル開通の時には、大浦と茂木で仕掛けていかないとと思って開通イベントや見学会を県に申し入れて実施したりもしたね。

umemoto-20190215-0111

「頼まれごとは試されごと」で繋がる縁

久保:不思議ですね。一周回って、本来自分がやりたかった仕事に戻って来ているんですね。

梅元:水産業も、たまたまうちの親父が茂木に工場を作ってやっていたけれど、長崎に帰るタイミングも、色々な人からお願いされる事も自分は必要とされる所に動こうとしているなと思ってる。掃除に学ぶ会の鍵山秀三郎さんが中村文昭さんの言葉「頼まれごとは試されごと」を常に言っていたんだよね。生活していると、人から何かしら頼まれる事があるでしょう、これできませんかとか、あれやってもらえませんかとか。でもそれはあなたに対しての試されごと、やるかやらないか試されている。だから、僕は自分ができることは可能な限り引き受けるようにしている。それをずっと繰り返していくと、どんどん縁が繋がっていく。その連続だったね…。

岡本一宣さんとの出会いがきっかけ。ナガサキベイデザインセンターの設立。

久保:「頼まれごとは試されごと」の一言が大きかったんですね。

梅元:そう。だから、今やっていることのほとんどは自分が求めて行ったわけではなく、全部頼まれた事がきっかけ。ただ、ナガサキベイデザインセンターに関しては僕がそういう組織がいるなと思って作ろうと動いた。ベイデザインセンターをやることになったのも縁で、ある日長崎県の新しい大型観光イベントをつくるという委員会に呼ばれて行った。ながさき地域政策研究所の菊森淳文さんたちと、どうやったら観光ビジョンができるのかというワーキングをしていて、離島にもあちこち行かせてもらってレポートを書いたりしている時に、市民の立場で意見を言う枠があるから来てよと誘われて。その時仲良くなった博報堂から尼崎市の顧問になった船木成記さんに「梅ちゃんって面白いよね、長崎出身ですごく有名な人が長崎に貢献したいって言っているから今度紹介するよ。」と言われて、紹介されたのが岡本一宣さん。

その時ちょうど、ホームランスタジオのグラフィックデザイナー深町知史さんに海産工房梅元のデザインなどをお願いしていて、深町さんの事務所に出入りしていて。事務所に岡本さんの本がたくさん並んでいてよく読んでてね。深町さんからもいつか岡本さんを紹介するからと言われていたんだよね。

居酒屋で初めて顔を合わせたときには、オーラが出ていてすごい人だなぁと思った。岡本さんから「梅元くんはどんな事をやってきたの?」と聞かれて話をしたら、「ニューヨークに事務所を作ろうと思ってたんだけど、長崎でもいいかなと思っているんだよね、何か手伝えることがあったら言ってよ。」と言う話になって。岡本さんに、「建築やまちづくりもデザインの領域だと思っているから、岡本さんが手がけるグラフィックにそれを加えて、まちづくりとかの新しい価値を生み出す事もデザインの領域ととらえて、学校を作りたいんです。」と話をした。長崎でデザインを勉強したい人がみんな県外に流出しているから、社会人でも来れるような学校を長崎に作りたい。その流れからデザインセンターを作ろうよと言う話になった。自然と出会って行く、そういう人たちに…。

仕組みや制度設計に関わり、新しい長崎をデザインしたい。

久保:ここ最近の活動や今後についてはどうですか?

umemoto-20190215-0117

梅元:今、家業の海産工房梅元は、岩崎本舗さんに経営を引き継いていただいたんだけど、ナガサキベイデザインセンターでは、コンサルティングの仕事や、ファシリテーションをしてほしいという依頼がある。例えば、五島や平戸などのまちづくり、コミュニティデザインや制度設計だね。

それを長崎市でもやりたいと思っているんだけど、長崎市は制度を作れないからうまくやれていないという現実がある。これだけ人口が減っているのに行政や議会の理解が追いついていない。やっぱり仕組みに問題があって、制度設計ができていない。そこが詰まっていると思う。いくら意識のある市民がいたとしても、それを支える仕組みとか認知する環境がないとその物事はジャストアイディアにしかならないという問題意識があるね。

今まで、死ぬほどやって来た事を実現するためには、実現するための意思決定をするところに影響しないと制度を作れないと考えていて…。制度を作れないと言うことは、みんなの想いだけでまちづくりをこれからもやらないといけないということだから、必ずどこかで持続できなくなる。役所の職員も段々と数が減らされていっているから業務の延長でしかやれない、やらないというふうになってくるよね。だから、自分たちの街は自分たちでとり回さないと行けない。仕事だろうが何だろうが、動ける人が頼まれた時に動けるような環境づくりが必要だと思っている。

umemoto-20190215-0125

今までは何でも行政がやっていた大きな政府を小さな政府にして、自分たち気づいた人たちがやれる組織・仕組みにしないと、長崎の大切な文化財もそうだけどあらゆるものが持続できない街になる。早めに手を打っていかないと、改修ができないから壊せといった話がこれからもどんどん出てくるよね。

幸いにも地域の小さな問題に気づいて、何とかしようという人が僕らの周囲にはたくさんいるよね。こういう積極的で善意ある人たち、若い世代、子育てしている人たちがこれからの長崎を創っていくときに、仕組みや制度が足かせになってはいけないと思うんだ。誰でもいいからUターンやIターンを受け入れよう、数を増やそうという傾向があるけど、もっと大切なのは、こういう人たちが、長崎にがっかりして、この場所から離れていかないようにすること。心ある、行動力のある、そして影響力のあるこういったステークホルダーを支援する仕組みを作らないと、長崎の未来を描くのは難しくなる。

僕ももう父親が亡くなった歳になるから、残された時間をどう使うべきか深く考えているんだけど、大好きな長崎の未来を思い浮かべながら、自分たちより下の世代のことを考えると、行政改革に関わって形骸化した仕組みや機能していない制度を少しでも改善して新しい長崎を描いていく、デザインしていくことが僕のこれからの仕事なんだろうな、と考えはじめているんだよね。

【目次】

LINEで送る
Pocket

ライター

久保 圭樹

ネットビジネスエージェント

久保 圭樹

Nagasaki365の企画・設計、Webデザイン、写真撮影などを担当。普段は企業のWebサイトの企画・設計、Web広告運用やWebマーケティングのコンサルティングなどを仕事にしています。

https://nb-a.jp