中村享一

Talkin’ About Nagasaki ―ゲスト:中村 享一さん[建築物が生み出す町の結節点]

前回は、中村さんがプロジェクトマネジャーとして関わった福砂屋松が枝店の事例や都市の未来を創るためには見識と合意が大切だというお話をお聞かせいただきました。今回は、中村さんが長年行ってきた軍艦島研究についてのお話をお届けします。

【目次】

02. 軍艦島を知ると長崎が見えてくる

都市提案コンペから始まった軍艦島研究

久保:中村さんと言うと建築家であるという点に加えて、軍艦島研究論文で九州大学大学院の博士号を取得していますが、軍艦島に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

中村:1991年に「都市の解体と再構築」をテーマとする都市提案コンペが、日本建築家協会と長崎県の共催で行われました。著名な海外の建築家も審査員として参加したレベルの高いコンペで、今のアミュプラザやフェリーターミナル、倉庫街などがある出島エリアを埋め立てて何を創るか、というコンペでした。

これに私は「INCUBATOR1991」と題した提案をして「銅賞」を取ることになるのですが、埋立てを前提としたコンペに対して、埋立てを否定した提案を行いました。埋立てしないで海上に浮かべるリグ(船)を利用した環境研究センターを提案しました。

というのも、その頃はバブルが弾ける直前の頃で、経済優先の都市づくりはおかしいんじゃないか、という感じになりつつありました。それで、長崎の都市の歴史を振り返ると、石炭産業で栄えた軍艦島があり、香焼には風力発電機もあり、同一線上に三菱重工長崎造船所があるから、未来を拓く環境技術研究を新しい産業に位置付ける自然エネルギーを象徴するような何かを創るコンセプトが良いと考えたんです。

そこで、この出島エリアに石油掘削リグを停泊させた上で、それを石油掘削用機材は廃棄し、自然エネルギーの研究センターにして、「環境研究を軸とした都市再構築を行う」という埋め立てない提案にしました。

石油掘削リグは面白くて、作業員のための居住区があったり、海水の淡水化装置があったりと、小さな人工島なんですよ。さらに出島エリアは淡水と塩水の境目で濃度差発電の実験ができるし、三菱は内燃機の技術は世界一で、リタイアした技術者が町に住んでいるから、自然エネルギー研究センターがつくれると思ったんです。その横にMICEを併設して、自然環境研究の基地にしよう。そして、これが具現化された後は、この石油掘削リグは出島を離れていくというようなシナリオを書いたわけです。

長崎の未来を創造するために、「未来の技術」というものと、「過去の歴史」っていうものが一つになって「今、何をやるか」っていう提案をしたわけです。軍艦島研究はそのあたりから始まっています。

1991年「都市の解体と再構築」をテーマとする都市提案コンペにてINCUBATOR1991が銅賞を受賞

軍艦島を起点に長崎の近代都市形成が見えてくる

久保:なるほど。特に軍艦島に注目したのはどのような理由からですか?

中村:軍艦島については、1991年以前は、普通の建築の人の興味の範疇でした。ところが、私はそれがどうやって生まれて、どうやって捨てられたか、というのを知らないと未来は読めないと少し気が付いたわけです。それから、少しずつ歴史をさかのぼるというような事を始めました。軍艦島を調べていけばいくほど、その前に長崎で起こったことと深く繋がっていることに気が付き、結局幕末までさかのぼりました。

私が生まれ育った飽の浦あたりは、日本における近代工場の出発点だったり、日本で最初にセメントが入ってきた場所でした。レンガはここで瓦職人によって焼かれただとか、建物を作るために新たに長崎で生み出されたものがだんだん明らかになってきました。

その他にも例えば、ここから対岸の南山手・東山手には、1850年代半ばあたりに西洋医学の標準基準が入ってきています。小島養生所なんかがそうですね。同じように、こちら側には西洋の内燃機関、つまり蒸気機関の標準基準が入ってきました。この2つが実は長崎の都市を作っていく重要な要素でした。この2つともが、軍艦島に繋がっていくわけです。

でも考えてみれば、こういうことについて私は学生時代には知りもしなかったことなんです。この近くに生まれて、当たり前だったので、特別の価値はないみたいに思っていました。

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ライター

久保 圭樹

フォトグラファー

久保 圭樹

Nagasaki365の発案・企画・設計、Webデザイン、写真撮影などを担当。普段は企業のWebサイトの企画・設計、デザイン、Webマーケティングのコンサルティングなどを仕事にしています。

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