写真が仕事になるまで
「1988年にアジアを旅行して、その帰りに台北で世界報道写真展を見ました。まさにその時に『海外で写真の仕事をしたい。』と思ったんです。」
写真家・山崎政幸はとてもシンプルな男だ。 自分の衝動を大切に写真とともに人生を歩んでいる。
大学を卒業し東京の会社に就職した山崎は、毎日仕事を終えて薄暗い道を帰る日々に虚しさを感じていた。
「ある日、仕事の帰り道で冒険家・植村直己さんの本を見つけ、自分も冒険の旅に出たくなったんです。」
35歳の時にサラリーマンを辞め、写真の仕事をヨーロッパでやりたいと思い、海を渡る。アムステルダムの世界報道写真展の事務所を尋ねたが、対応してくれた若い女性とうまく意思の疎通ができずに日本でやることを勧められた。
「ただただ、悔しかったですね。」
言語の壁でつまづいた山崎はその悔しさを胸に、イギリスへ渡る。
「ユーロラインという国際長距離バスの乗り場まで行きました。英語を勉強するためにイギリスに行こう。物価を考えるとロンドンよりもケンブリッジかオックスフォードだろう、と。オックスフォード行きの安いチケットがあったので、そのまま購入しました。現地に着くとインフォメーションセンターで学校のリストを手に入れて一件ずつまわり、予算内で勉強できるいい学校を見つけて6週間英語を勉強しました。」
「その後、オックスフォードの図書館で、イギリスの通信社、新聞社、写真関係の事務所のリストを手に入れて訪ねてまわりましたが全部断られました。ですが、最後に行ったBAPLA(British Association of Picture Libraries and Agencies)のつてで、日本の写真を扱う会社のリストを手に入れることができました。1997年のことです。その後一旦帰国して、日本の写真を撮影し、リストの中のイギリスの会社と契約しました。今もその会社に写真を納めています。」
チベットとの出会いと個展
今月、山崎は長崎市の茜カフェで個展を開催し、撮影したチベットの写真23点を出展している。チベットと山崎の出会いについて尋ねてみた。
「1988年に中国をまわったときに暴動直後のチベット・ラサに行き、写真を撮影しました。その後、2010年に東京で写真家・小松健一氏と出会い、中国大陸全土を20年かけて撮影していた彼がチベットに取材にいくというので2011年と12年に同行させてもらいました。そこには20年前と変わらず信仰に熱心なチベットの人々とともに、少しずつ開発が進み変貌していくチベットの姿もありました。」
写真の魅力とこれから
写真に人生を捧げる山崎に、その魅力を聞いてみた。
「シャッターを切っていて、『これは撮れたな。』という感覚。この一言に尽きると思います。この一瞬があるからこそ写真を撮り続けているんでしょうね。」
山崎は今、故郷の高島を撮っている。
「初めは廃墟に目が行ったんですが、そのうち住んでいる人たちの生活や活動に惹かれていきました。『今の高島を撮りたい。』そう思っています。」
「完成するのは、来年なのか、5年後なのか、10年後なのかわからないんだけどね。」
そういうと山崎は晴れやかに笑った。
[ 山崎政幸「チベット旅遊」写真展開催のお知らせ ]
2011年と2012年にチベット取材に訪れそこに住む人々の暮らし、文化、大自然に触れながらシャッターを切りました。チベットに近代文明が入りそこに住む人たちにも大きな影響を与え生活自体が大きく変わってきました。そして生活に深く根づく信仰が有りました。 昔ながらの生活、近代的な生活。どちらが良いか外国人には口を挟む資格は有りませんが、見てきたものを写真に記録してきました。―山崎政幸
取材ルート
【2011年】
成都―雅安―天全―康定―新都橋―雅江―理塘―海子山峠―巴塘―措布溝―理塘―新都橋―塔公草原―八美―ジャラ神山―丹巴―甲居民居―夾金山峠―宝興―成都
【2012年】
成都、ラサ、東チベット・・・。
ニンティ、コンボ、ポミ、チャムド地区境・・・。
山南地区、ロー、ローカルツェ、ギャンツェ、カンマル・ シガツェ、再びラサ、西蔵鉄道で西寧、そして北京・・・。
以上のルートを廻って来ました。
期間
2014年7月9日~7月20日
会場
茜カフェ
〒851-0831 長崎市鍛冶屋町1-18-2F
TEL/095-824-8819
時間
11:00~19:00(日曜日は18:00迄)
定休日 毎週月曜日・火曜日