いつも傍にあったダンス
幼いころの記憶にジャネット・ジャクソンのサインを手に入れた時のものがある。ジャネットのライブの時、会場の最前列で踊っていた彼女を見たスタッフの一人がジャネットのサインを渡したのである。 3歳の彼女を見て、彼は「まるで私の娘のようだよ。」と笑いながらサインを手渡した。
杏音は、2歳からダンスを始めた。長崎市家野町でダンススタジオ『DANCEMASTERS』を経営し自らもダンサーだった母親の影響だ。 その母と、レコーディングスタジオを経営しているサウンドエンジニアの父がいるのだから、音楽が流れていない時間がない家だった。
「小学生の頃は、ジャクソン5、ブリトニー・スピアーズ、ビヨンセに夢中でした。中学、高校、大学の生活はダンス一色で、プロのダンサーとして活躍することだけを目標に、すべてをダンスに捧げた青春だったと思います。」
ダンスの先に見つけたこと
2011年4月、東京の大学を卒業するとレッスンに通っていたスタジオでアシスタントを始めた。 先生に代わりプロ級のダンサーたちを相手に指示を出す立場は、少々重荷ではあったが毎日が充実していた。スタジオでのレッスンの他に、人気の映画や有名俳優たちとの舞台でダンスや芝居をする機会にも恵まれた。
そんな彼女がどうして長崎に帰ろうと思ったのだろうか?
「ダンサーとして踊ること以上に、『創ること』に気持ちが傾いていったんです。例えば、仲間のダンサーとショーを見に行っても、彼女が実力あるダンサーを目で追っている時に、私は舞台づくりや進行などの全体に目を向けていました。そういう経験から私はダンサーとして生きるよりも、その経験を活かしながらもっと創る側に回りたいと思ったんです。」
24歳で長崎に戻ることを決心した彼女には、まだまだ東京でダンサーとして活動できるという声が多かった。しかし彼女にとっての次のレベルは『何かを創造する』ということだという信念は揺らがなかった。そしてその場所は必ずしも東京でなくてもよかった。最終的に長崎を選んだのは、生徒たちとともに作品を創りながら、毎年舞台で発表する母の背中を見てきたからだ。
『作品を創る』2つの取り組み
「長崎に帰ってきてからDANCEMASTERSの生徒たちとクラスのプロモーション映像を制作したり、今年世界中で流行ったファレル・ウィリアムスのHappyを使ったHappy Nagasaki Ver. を作りました。YouTubeにアップして一人でも多くの人に見てもらえる機会を作ることは、彼らを刺激し、やる気を引き出すこともできます。踊るという行為を超えた表現を感じ学ぶことができる機会にもなりますよね。」
そしてもう一つはスタジオパフォーマンスだ。
「先日、スタジオパフォーマンスができるようにDANCEMASTERSのスタジオを改装しました。スタジオパフォーマンスはその名の通り、練習に使っているスタジオを舞台に変え、観客を入れてパフォーマンスを見て頂くことです。お金を払う価値のある演出された舞台を創造し、エネルギーに溢れるような舞台を見せたいと思っています。」
「長崎では残念ながらダンスがエクササイズの延長として捉えられていたりします。東京と比較した場合、芝居など観劇に行く機会も少ないので仕方がないことだとは思いますが、ちょっと味気ないですよね。踊りに対する見方、考え方や捉え方を広げる機会を作り出し提供していくのも、私の役割なのかなと思っています。」
アート、音楽、スポーツ、ダンスや芝居がなくても、人間は生きていくことができるかもしれない。しかし、表現し、何かを創造するという行為は、人間にのみ与えられたものだ。
今日この瞬間も、杏音はDANSMASTERSの生徒たちとともに、ここ長崎で、踊り、何かを創りだそうと情熱を傾けている。
■DANCEMASTERSウェブサイト
http://www.dancemasters-studio.com/
■DANCEMASTERS発表会 EXTRAVAGANZA 26th 11.3(日) @長崎市公会堂
http://www.dancemasters-studio.com/extravaganza.html