キリシタン弾圧下の長崎を舞台にした映画『沈黙-サイレンス-』がまもなく公開。

江戸時代初期、キリシタン弾圧下の長崎を舞台にした遠藤周作の代表作『沈黙』。この小説をハリウッド映画界の巨匠マーティン・スコセッシが映画化した『沈黙-サイレンス-』がいよいよ2017年1月21日公開となります。

すでに一足先に、AIF AWARDS(アメリカ映画協会賞)の2016年のムービー・オブ・ザ・イヤーのTOP10に選出され、Time紙のThe TOP10 Everything of 2016のベスト・ムービー部門の10本にも選ばれており、アカデミー賞最有力候補とも言われています。

以下は、12月21日公開の日本版オリジナル予告編です。

 

【予告編の内容】

「初めて原作を読んだあの日から28年、ずっとこの作品のことを考えてきました」

予告編はマーティン・スコセッシ監督のメッセージで幕をあける。

冒頭、敬虔な信者であるモキチ(塚本晋也) が荒波の中、水磔に遭うシーン。湯煙の雲仙で行われる激しい仕打ちを目にして絶望的な表情で腰を落とす宣教師の姿に、フェレイラ(リーアム・ニーソン)が棄教したことを告げる神父の姿が重なっていく。 「あり得ない。日本での布教活動に生涯を捧げられておられた」とガルペ(アダム・ドライバー)が驚き、「すぐに彼を見つけ出さないと」と、ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)は長崎潜入を決意する。

江戸初期、キリシタン弾圧下の長崎に着いた二人の宣教師は、弾圧の中、隠れてキリスト信仰を続けていた村人たちに匿われる。二人を長崎へと導いたキチジロー(窪塚洋介)は、「パードレ、どうかお助けを。弱い者はどうすれば?」と赦しを求める。

だが、奉行の厳しい追及は容赦なく、井上筑後守(イッセー尾形)は、「お前のせいで奴らは苦しむことになるのだ」と棄教を迫る。 「パードレたちはわしらが守る」と固い決意を示した村の長老・イチゾウ(笈田ヨシ)とモキチは、茂みに隠れたロドリゴの目の前で連れ去られてしまう。「我々が彼らを救うのだ」と、尚も固い信念で前に進もうとするロドリゴだが、遂に囚われの身となってしまう。牢屋には通辞(浅野忠信)が現れ、「悩むことはない“転ぶ”のだ。お前が転ばぬ限り犠牲がでる」と棄教を迫る。

弾圧は更に激しさを極め、目を覆いたくなるような 光景に言葉を失い、絶望的な表情をするロドリゴにもその瞬間が迫ろうとしていた…。

 

長崎奉行の追跡を逃れて山中をさまよう中、キチジロー(窪塚洋介)が自らの罪を告白しロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)に赦しを請う告解のシーン。/Copyright (c) 2016 FM Films, LLC. All Rights Reserved.

 

奉行所に囚われたロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)に、“転べ”と通辞(浅野忠信)は迫る。/Copyright (c) 2016 FM Films, LLC. All Rights Reserved.

 

【ストーリー】

17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教したとされる高名な宣教師フェレイラ(リーアム・ニーソン)を追い、弟子のロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライバー)は日本人キチジロー(窪塚洋介)の手引きでマカオから長崎へと潜入する。

日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。それも束の間、幕府の取締りは厳しさを増し、キチジローの裏切りにより遂にロドリゴらも囚われの身に。頑ななロドリゴに対し、長崎奉行の井上筑後守(イッセー尾形)は「お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ」と棄教を迫る。次々と犠牲になる人々。守るべきは大いなる信念か、目の前の弱々しい命か。心に迷いが生じた事でわかった、強いと疑わなかった自分自身の弱さ。追い詰められた彼の決断とは―

 

『沈黙-サイレンス-』は、1月21日(土)より、全国ロードショー。

 

■『沈黙-サイレンス-』オフィシャルウェブサイト

http://chinmoku.jp/

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Nagasaki365編集部

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